何度も根気よく話し続けることの大変さとむなしさ
妹はコミュ力あります。
嫌な気持ちの時は、我慢できるし、甘えて泣くことができます。
家族や友達がうれしいときは、一緒にうれしい気分になれます。
家族や友達がかなしいときには、一緒にショボンとしてくれます。
こうやったら相手はうれしいかな?
こうやったら嫌かな?
と想像力を働かせることができます。
相手が喜ぶと自分もニコニコです。
この想像力と共感力は、親が特別に教えたことではありません。
日々の生活、人との関わりの中で自ら学んでいったことです。
しかし、兄はこれらのことができません。
嫌なことがあると、自分の気持ちでいっぱいになり、相手のことが考えられません。
怒りを我慢できません。
相手や周りのこと、怒りを出してしまったあとのことを想像する力がありません。
小さな頃から、何度も言い聞かせてきました。
具体例をだし、紙に書いて視覚に訴え、何度も何度も言い聞かせてきました。
成長と共に、コミュ力も育ちました。
しかし、一人で社会にでていくコミュ力はまだ身に付きません。
この攻撃力があるかぎり、我が子が犯罪者になるという可能性を否定できません。
親として、なんて悲しいことでしょう。
そして、何度も何度も人との関わりのかたの話を続けることのむなしさ。
生きていくことがこんなに難しい子がいるなんて。
ワガママだったら、わざとしているんだから、直ります。
うちのは、ワガママではありません。
気づかないのです。
見ないのです。
うちのは、何年もかけて、本当に少しずつ進んでは戻り、進んでは戻りを繰り返し。
先の見えない未来は、時々こわくなります。